変わっている家族
娘が友人に『お前ん家変わってるよな』って言われたって言ってきました。
娘は、それを”確かにね”って受け止めたようです。
私の周りに小さい頃から着いって回ってきた『普通は・・・』という言葉
私の”普通”は、他人の”普通”とは違うみたいで、いつも”変わってるね”って言われ続けてきました。
そして、いつしか自分が自分らしく生きることを否定するようになりました。
自分らしく生きようとすると、変わっている人間になってしまうから…
両親にとっても私が変わっていることは不都合で、何かやりたいことがあって相談してもほとんどのことは反対されました。将来の夢でさえ、これからの時代はそんなことやってもダメと…
私のために、私の夢を猛反対してくれる両親。これが『普通』
あなたはこうするべき!あなたのためだから!
私は姉妹の姉、”お姉ちゃんらしく”しなくてはいけなくて、どんなことでも全てにおいて100点を取ることが当たり前ということを求めらます。
近所の同級生と常に比較し、この家の長女として、他の家にマウントを取れるような何かをする。ダメな時は、引っ叩いたり、物置に閉じ込めてでもやらせる。子どもというのはこれを求められることが『普通』なのだと漠然と受け止めていました。
そして、みんなそうやって大人になるのだと。
でも、母となり、子どもと真剣に向き合う毎日の中で、何か不思議な違和感を感じ始めます。
最初のうちは、両親や先生、ママ友や親戚、本やネットの情報を見て、見様見真似で一生懸命やってみたんですけど、どうもこの子と対峙する時の違和感が拭えません。
でも、子育ては初めてのことで、なんでこんなに違和感を感じるのか、何がそんなに引っかかるのか全くわからないんです。
子育てとは、子どもとは、こういうものだから、子どもが何か”普通”じゃないことをしようとした時はしっかりと叱り飛ばさないと親失格!
そのプレッシャーを感じ、いい母でいるためにも、私がしっかり怒らなきゃ私のために、しっかり怒らなきゃ…
私のため?
この子は、私がいい母でいるために叱られるの??
たぶんこれが違和感の正体だったのかなと今は思います。
周囲の情報が悪いとかではなく、私の見つめているベクトルがおかしかった。
いつしか私に向いているベクトル。
この子は、私のために生きるわけではないから、この子の人生をしっかり生きていけるように見つめてあげなきゃ、寄り添ってあげなきゃ、そう思うとふっと何かが消えました。
そして、同時に、私は私らしい子育てをしよう。
どんなに取り繕っても、私は何者にもなれないし、私は私なんだと…
旦那さんにも、自分の気持ちや私の中の子育てへの思いを話して、受け入れてもらえました。
私に私らしく生きてもいいと、この家族が教えてくれたと思っています。
私が思う子育て
何がしたくて、何に困っていて、それを自分で私に伝えられるようにしてあげる
自分とは何者なのか、自分はどうやって生きたいのか
人が一番迷子になりやすい見えない答えを見出す力を子どもたちに授ける
それが本当の親としての勤めなんじゃないか
そう感じ、子どもたちとそうやって接するようになります。
周りから見るとこの光景が、”変わっている”の正体なのかもしれません。
まだまだ下の子は中学2年生の14歳と、子育ての真っ只中です。
なので、そう思って育てることが正しかったのか、正解を見たわけではありません。
だから、私の違和感が消えた事実はあったとしても、子育てとしてこれが正解かどうかはわかりません。
この育て方の正解は、この子たちが死ぬときに出るんだと思います。
”しっかり自分の人生を生きることができた”
そう思って死ねた時に、正解だったとなるんだと思います。
子どもと言っても千差万別です。
兄と妹、ふたりとも必要な寄り添い、必要な言葉、必要なもの、必要な時間が、全く違います。
たったふたりですら、こんなに違うんですから、世の中の子どもたち全員にそれぞれの子育ての形があるし、同じ子育てはないのだろうなと思います。
14歳の娘は、この家族が変わっていることを”確かにね”と受け止めたということは、”普通”が何かも理解しているのかなと思います。
その点では、私なんかより、すでに立派に成長しているなと思っています。笑
いまだ手探りの私…
この先に道があるかないかわからないけど、そんな”変わってる家族”と、今をしっかり進んで、いつかこの世からさよならする時、私自身も
”私の人生をしっかり生きた”
って笑顔で言いたいと思います!
♪(´ᵕ`๑)۶⁾⁾